円筒分水かわうそ探検隊

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二ヶ領用水久地円筒分水(神奈川県川崎市)

地域に愛され住宅地に溶け込む円筒分水

江戸時代に多摩川から取水し開発された「二ヶ領用水」を4つに分水している久地の円筒分水は、治水の為に平瀬川の流れを変えた時に川と用水とクロスさせ、水を公平に分けるため設置されました。

農業用水として利用されてきた二ヶ領用水は時代と共に農地が工業用地と変わる中で工業用水の供給に、そして工場が住宅地となる現在では”環境用水”としての利用と変化し、円筒分水も市民の憩いの場として親しまれています。

4方向に供給される分水

用水は南西からクロスする平瀬川の下をくぐって円筒分水にサイフォンの原理で湧き上がっています。

そして湧きあがった水は川崎堀77、根方堀15、六ケ村掘5,久地堀3の割合で分水されます。川崎堀は二か領用水の本流として川崎市幸区まで(川崎駅手前くらいまで)流れています。

根方堀は今はコンクリート・プレートで覆われた暗渠として流れて行き、六ケ村堀、久地堀もすこし水路を見せた後、暗渠として流れて行きます。六ケ村堀を追って行くと大山街道を越え、数キロ離れた高津小学校あたりまで辿る事ができ、今は住宅地や工業用地となっているエリアが大きな水田地帯だったことが分かります。

取水は平瀬川とクロスする直前で

二ケ領用水が平瀬川とクロスする直前で取水します。

この円筒分水の出来る前はこう少し上流(歩いて数分)の所に江戸地代に設置された「久地分量樋(ぶんりょうひ)」で4つの幅に分けていました。今はそれを示す碑が立っています。

国の有形文化財登録は円筒分水では第一号!

1998年(平成10年)に国登録の有形文化財となりました。これは円筒分水では初めて。

歴史

1597年(慶長2年)に小泉次太夫が家康の命を受け二ヶ領用水を開削。久地分量樋で分水したが水争いは収まらず「溝口村水騒動」も。大正時代は東京都と神奈川県の争いもありました。

一方、平瀬川は「あばれ川」とも呼ばれ、台風や豪雨の際には二ケ領用水や溝の口駅方面に水が流れ込む洪水となっていました。その解決のため、水流を変え津田山にトンネルを掘り多摩川に流す事となります。でもそのルートは二ケ領用水と十字にぶつかるため、二ケ領用水が平瀬川と交差する直前に堰をつくり、サイフォンの原理で平瀬川の真下をくぐらせ反対側に吹き上げさせ、そこにに円筒分水を設置して4か所に分水させることとしました。(1941年、昭和16年

データ

名称:二ヶ領用水 久地円筒分水
住所:川崎市高津区久地1-34‐25
方式:全周溢流式
水源:多摩川の上河原堰・宿河原堰
用水・分配: 二ヶ領用水 川崎堀38.471m、六ヶ村堀1.675m、久地堀1.675m、根方堀7.415m
竣工:1941年(昭和16年
設計:平賀栄治 
リンク:川崎市「市内河川の見どころ・久地円筒分水」

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