円筒分水かわうそ探検隊

円筒分水を訪問している記録です。ツイッターやインスタの Kawausobunsuiをフォロー頂くとアップデート時にご案内が流れます!

徳水園円筒分水工の今年の放水式は4/22(月) 1100~だそうです!(岩手県・奥州市)

徳水園円筒分水工の今年の放水式は4/22(月) 1100~だそうです!



告知の大噴水を見てるくまとサルとカエルがかわいいです。

見たいけど多分行けない…

https://thr.mlit.go.jp/kitakato/105dayori/okusyuko_news/okusyuko_news121.pdf
#岩手県 #奥州市 #徳水園円筒分水工 #円筒分水 #円形分水

2/13(火)-16(金) 円筒分水写真展@川崎市高津区役所

円筒分水かわうそ探検隊は神奈川県川崎市高津区の「久地円筒分水」のお掃除ボランティアに参加していますが、そのボランティア団体「久地円筒分水サポ-トクラブ」主催で来週、高津区役所にて円筒分水写真展を行う事になりました。

日時:2/13(火)~/16(金)8:30-17:00

場所:川崎市高津区役所1階ホール。

 

アクセス:JR南武線武蔵溝ノ口駅東急田園都市線 溝の口駅から5分


簡単な展示ではありますが、久地円筒分水訪問に併せお気軽にどうぞ~ !

#円筒分水写真展 #久地円筒分水 #川崎市 #高津区役所 #溝の口 #円筒分水 #円形分水

西天竜幹線水路円筒分水群(長野県伊那谷)

地域で35基の円筒分水を擁する全国最大の円筒分水群。

諏訪湖から釜口水門を起点に天竜川は長野県から愛知県、静岡県を経て太平洋に流れています。

その途中、岡谷市の西天竜頭首工で取水された水が西天竜幹線水路として伊那谷の盆地に向かいます。左岸で取水された水は川の下をサイフォンでくぐって右岸に流れます。

(上:西天竜頭首工。一番左が取水口)

時に暗渠時に開渠として流れる幹線水路は辰野町で開渠となり、西天竜幹線円筒分水群を通じて1市2町1村(伊那市辰野町箕輪町南箕輪村)の田畑を潤します。

 

1939年(昭和14年)に円筒分水群が完成した時は52基が設置されました。円形のものが主流ですが扇形のものもあります。現在は35基が稼働中。円形、扇形に加え角型の小さなものも加えると80以上の分水が働いています。

 

このサイトで一つずつ、ゆっくりご紹介していく予定です。

entoubunsui.hatenablog.com

entoubunsui.hatenablog.com

entoubunsui.hatenablog.com

entoubunsui.hatenablog.com

entoubunsui.hatenablog.com

entoubunsui.hatenablog.com

 

(続く)

 

データ

水路

名称:西天竜幹線水路
場所:岡谷市から伊那市天竜川右岸段丘

取水:天竜川西天竜頭首工(岡谷市
供給:長野県の天竜川右岸1市2町1村(伊那市辰野町箕輪町南箕輪村
全長:26㎞
着工:1922年(大正11年
竣工:1928年(昭和3年
改修:1946年(昭和21年)~1958年(昭和33年
管理:西天竜土地改良区

 

円筒分水

名称:西天竜幹線水路円筒分水群

分水数:当初52基設置。現在35基稼働中。大小の分水を加えると83基が稼働。
着工:1919年(大正8年
竣工:1939年(昭和14年
改修:2012年(平成24年)20か所

2006年(平成18年)土木学会推奨土木遺産

歴史
従来天竜川右岸段丘地帯は森林で地域は養蚕業が主流であった。
大正時代の飢饉を契機に土地改良を進める『開墾助成法』が施工。かれてよりの悲願であった地域への水路計画が策定され、1922(大正11年)起工、6年後の1928年(昭和3年)年に完成。
幹線水路の完成に続き、1928(昭和3)年より開田工事に着手し1935(昭和10)年までに1000ha以上を完了させた。

しかし農地の拡大と共に水争いも起こり、その解決の為第3代天竜耕地整理(現在の西天竜土地改良区)組合長の保坂申彦が円筒分水を採用し問題が解決した。円筒分水は組合長の名前から「穂坂式分水地」と呼ばれた。

 

小笹(おざさ)円形分水(熊本県山都町)

通潤橋に水を供給する円筒分水

熊本に行ったら、絶対に行きたかった小笹(おざさ)円形分水 笹原川から水を引き、7割を国の重要文化財に指定されている通潤橋に水を流しています。 公園として整備されていて、間近に見られる珍しい分水。近くで見て感激しました。 通潤橋まで数キロを高低差僅か5mに抑えた水路が繋いでいます。すごい技術。完成は1956年。

円筒分水からの水は通潤橋の内部を通り反対側の白糸台地の上井出の農地100haに水を供給しています。
白糸台地は四方を川に囲まれ湧水などを利用した農業しかできませんでした。
江戸時代の終わりの頃の惣庄屋(現在の町長)だった布田保之助(1801-1873)が代表となって計画を立て通潤橋の工事が1852年(嘉永5年)に始まりました。大工や石工、白糸台地や矢部地域の人たちが総出になり1年8ヶ月の期間をかけ1854年嘉永7年/安政元年)に完成しました。
この工事には多くの優れた技術が投入されており、江戸時代末期とは思えない精緻な技術に驚きます。
まず石橋を作る技術。熊本は阿蘇の噴火により噴出された溶結凝灰岩を多く産出する事から石の加工技術が発達し、熊本城などの築城に大きな貢献をしました。築城完成の後もその技術は棚田に生かされてていました。
江戸時代の後期、長崎奉行所に勤めていた藤原林七は眼鏡橋に使われている西洋の技術に興味を持ち、熊本の種山(現在の八代郡東陽村)に移り住み橋本姓となった後も研究を続けその技術を完成させました。その技術(種山石工)を伝承する孫の宇市が石工頭となり通潤橋は完成しました。岩盤が水で洗われやすい白糸側には、岩盤を石垣で覆う方法を。これには熊本城の石垣「武者返し」の技術が使われています。また石垣が壊れないように、垂直な部分にはコの字形の石を鎖(くさり)のように交互につなぎ合わせ(鎖石工法)が28カ所に使われています。
もう一つは通水管の技術です。最初は木管、次に内側に鉄を使った石管を試みましたが失敗、同時に石造りの管を繋ぐ漆喰を何度も失敗しながらついに完成させたことです。
漆喰は、若松葉の新芽を釜で炊きつめた松葉汁を、赤土、川砂、貝汁に入れて、石うすでつき混ぜるという複雑なものでした。
この2つの技術があってサイフォンの原理を利用した通潤橋と通潤用水が完成しました。
2023年(令和5年)に通潤橋は国宝に指定されました。
通潤橋はほんとサイズが大きすぎてよく分からなくなるレベルの建造物。交差する五老ヶ滝川の滝も迫力が物凄く、自然も人工物もとにかくスケールが大きいです。27000人の人力をかけて800人の村々の為に水を引くため通潤橋をかけたとのこと。下流の白糸台の水路にはアカハライモリゲンゴロウなどの希少生物が今でもいるのだとか。生態系の面でもとても貴重だと思います。
はじめて訪ねた時は幣立神宮にご一緒した方々に円筒分水をご紹介できました。円筒分水には普段は単独訪問、多くて2人なので、数人で訪れたことに興奮してしまいました。
いっしょに訪問して下さった皆さんはそもそも「円筒分水」という言葉を初めて聞いた方。関心を持って聞いてくださる優しさがありがたかったです。
通潤橋は春から秋にかけて中央の穴から放水します。橋の上も申し込めば歩けるので、時期を見てまた訪れたいと思い、土地管理組合の方々が水路も合わせて定期的にメンテナンスしている活動に混ぜて貰えないだろうか?とお話してみました。快く参加の許可を頂き、それ以来水路掃除のボランティアで通い続けています。


もちろん毎回小笹の円筒分水にも。清掃の為水が抜かれていて構造がよくわかるときがあったり楽しいです。

まだまだご縁が続きそうな小笹の円筒分水と通潤橋山都町です。

名称:小笹円形分水工
住所:熊本県上益城郡山都町小笹
方式:全周溢流式。外円周10.5m、内円周6.3m
水源:笹原川。水量毎分1.2立方メートル
用水:2分水(通潤橋7,野尻・笹原地区3)通潤用水
灌漑面積96ha(緒方町清川村の一部)
竣工:1956年(昭和31年)
管理:山都町

 
 

烏嶽分水工(大分県豊後大野市)

森の中のハッとするほど美しい円筒分水

メインの道路から砂利道を下ること100m程。突然現れるその姿。
蒸し暑さから逃れて暫し涼を楽しみました。
 完全なる穴場(円筒分水は大抵穴場なのですが)。折りたたみ椅子でも持ってきて読書したり、昼寝でもしたい気分です。
 

上の写真で言うと手前からの取水がサイフォンで吹き上げられ、右手は小原・栗生方面、左手は中野・木野方面へ。

水は水路を流れていきます。水路が開通した1938年にどれほど地域の方たちが喜んだか想像しました。

取水口から円筒分水まで山の中をいくつものサイフォンで沢を越えてやって来ているそうです。

水を眺めてぼーっとしているといくらでも居れますね。



歴史:明治時代、当時の庄屋の伊東研蔵計画を立案したが着工実現せず、その後1935年(昭和10年)に三代憲人村長を中心に着工にこぎつけた。しかし三代村長は1938年(昭和13年)1月完成を見ずして打ち合わせに堅調に向かう途中死去。最終的に同年水路と円形分水が完成した。

 

データ

名称:烏嶽分水工
住所:大分県豊後大野市緒方町
方式:スリット溢流式
水源:長谷緒井路(1893年(明治26年)計画開始、1938年(昭和13年)完成)(全長22km)

   (祖母山麓奥岳川上流大字上畑字烏屋平を水源)

用水:2分水(灌漑面積96ha(緒方町清川村の一部)

   (中野・木野方面長谷川地区 19: 小原・栗生方面 清川町平石上緒方地区 10)
竣工:1938年(昭和13年)(1936年(昭和11年)着工)
管理:長谷緒土地改良区

通水時期:5月連休明けから9月末(都度現地にご確認下さい)

 

 

円筒分水写真展 2023/11/5-18

円筒分水かわうそ探検隊のメンバーであるIさんが来月円筒分水の写真展を行います。

今まで訪問した中から10か所ほどの写真をカフェの壁に展示する写真展です。

 





おいしいコーヒーを味わいながら見て頂けたらうれしいです。よろしくお願いします。

円筒分水写真展 

【場所】NIWATORI COFFEE
東京都杉並区堀ノ内3-3-26
(地下鉄丸の内線新高円寺駅、または東高円寺駅から徒歩15分)入場無料、ただし飲み物等をご注文下さい。

 



【日時】2023年11月5日~18日
[月・木・金]10::00~17:00 、[土・日]10:00~18:00 (火、水はお休み)(最終日は17:00まで)
【お問合せ】■NIWATORI COFFEE
Tel:03-6822-0597
URL:

https://www.niwatori-coffee.com


■円筒分水かわうそ探検隊
e-mail: kawauso.entoubunsui@gmail.com
URL: 

https://entoubunsui.hatenablog/

沢5号(長野県上伊那郡 西天竜幹線水路円筒分水工群)

沢地区南を支える扇型分水

箕輪町沢地区を潤す4つの分水の内、南のカナメの分水。

4方向に2,7,2,4のオリフィスに従って分水。

ふと見るとオリフィスをふさぐために使いそうなものを発見。きっと流れすぎるときはこれでふさいで他に水を回すのでしょうか。

上から見ると水の噴き出し穴の脇に藻が映えてちょっと涼し気。

溢水を集め導水するカーブも柔らかで好きです。

 

「沢」の番号を持つ3,4,5、6の中で一番用水の範囲が広いかも。

 

 

データ
名称:西天竜用水路 沢5号
住所:長野県上伊那郡箕輪町
方式:オリフィス式
水源:西天竜用水路
用水:4方向分水。沢地区
竣工:1935年(昭和10年)~1940年(昭和15年)?
管理: 上伊那郡西天竜土地改良区

登録:西天竜幹線水路円筒分水工群全体で土木学会推奨土木遺産(2006年/平成18年度)

 

#長野県 #上伊那郡 #箕輪町 #西天竜幹線水路 #伊那谷 #天竜川 #円筒分水 #円形分水 #沢5号