円筒分水かわうそ探検隊

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小笹(おざさ)円形分水(熊本県山都町)

通潤橋に水を供給する円筒分水

熊本に行ったら、絶対に行きたかった小笹(おざさ)円形分水 笹原川から水を引き、7割を国の重要文化財に指定されている通潤橋に水を流しています。 公園として整備されていて、間近に見られる珍しい分水。近くで見て感激しました。 通潤橋まで数キロを高低差僅か5mに抑えた水路が繋いでいます。すごい技術。完成は1956年。

円筒分水からの水は通潤橋の内部を通り反対側の白糸台地の上井出の農地100haに水を供給しています。
白糸台地は四方を川に囲まれ湧水などを利用した農業しかできませんでした。
江戸時代の終わりの頃の惣庄屋(現在の町長)だった布田保之助(1801-1873)が代表となって計画を立て通潤橋の工事が1852年(嘉永5年)に始まりました。大工や石工、白糸台地や矢部地域の人たちが総出になり1年8ヶ月の期間をかけ1854年嘉永7年/安政元年)に完成しました。
この工事には多くの優れた技術が投入されており、江戸時代末期とは思えない精緻な技術に驚きます。
まず石橋を作る技術。熊本は阿蘇の噴火により噴出された溶結凝灰岩を多く産出する事から石の加工技術が発達し、熊本城などの築城に大きな貢献をしました。築城完成の後もその技術は棚田に生かされてていました。
江戸時代の後期、長崎奉行所に勤めていた藤原林七は眼鏡橋に使われている西洋の技術に興味を持ち、熊本の種山(現在の八代郡東陽村)に移り住み橋本姓となった後も研究を続けその技術を完成させました。その技術(種山石工)を伝承する孫の宇市が石工頭となり通潤橋は完成しました。岩盤が水で洗われやすい白糸側には、岩盤を石垣で覆う方法を。これには熊本城の石垣「武者返し」の技術が使われています。また石垣が壊れないように、垂直な部分にはコの字形の石を鎖(くさり)のように交互につなぎ合わせ(鎖石工法)が28カ所に使われています。
もう一つは通水管の技術です。最初は木管、次に内側に鉄を使った石管を試みましたが失敗、同時に石造りの管を繋ぐ漆喰を何度も失敗しながらついに完成させたことです。
漆喰は、若松葉の新芽を釜で炊きつめた松葉汁を、赤土、川砂、貝汁に入れて、石うすでつき混ぜるという複雑なものでした。
この2つの技術があってサイフォンの原理を利用した通潤橋と通潤用水が完成しました。
2023年(令和5年)に通潤橋は国宝に指定されました。
通潤橋はほんとサイズが大きすぎてよく分からなくなるレベルの建造物。交差する五老ヶ滝川の滝も迫力が物凄く、自然も人工物もとにかくスケールが大きいです。27000人の人力をかけて800人の村々の為に水を引くため通潤橋をかけたとのこと。下流の白糸台の水路にはアカハライモリゲンゴロウなどの希少生物が今でもいるのだとか。生態系の面でもとても貴重だと思います。
はじめて訪ねた時は幣立神宮にご一緒した方々に円筒分水をご紹介できました。円筒分水には普段は単独訪問、多くて2人なので、数人で訪れたことに興奮してしまいました。
いっしょに訪問して下さった皆さんはそもそも「円筒分水」という言葉を初めて聞いた方。関心を持って聞いてくださる優しさがありがたかったです。
通潤橋は春から秋にかけて中央の穴から放水します。橋の上も申し込めば歩けるので、時期を見てまた訪れたいと思い、土地管理組合の方々が水路も合わせて定期的にメンテナンスしている活動に混ぜて貰えないだろうか?とお話してみました。快く参加の許可を頂き、それ以来水路掃除のボランティアで通い続けています。


もちろん毎回小笹の円筒分水にも。清掃の為水が抜かれていて構造がよくわかるときがあったり楽しいです。

まだまだご縁が続きそうな小笹の円筒分水と通潤橋山都町です。

名称:小笹円形分水工
住所:熊本県上益城郡山都町小笹
方式:全周溢流式。外円周10.5m、内円周6.3m
水源:笹原川。水量毎分1.2立方メートル
用水:2分水(通潤橋7,野尻・笹原地区3)通潤用水
灌漑面積96ha(緒方町清川村の一部)
竣工:1956年(昭和31年)
管理:山都町