治水の神様、成富兵庫茂安(なりどみひょうごしげやす)による作られた嘉瀬川から多布施川への分流点
佐賀は円筒分水以外に水利の見どころが山積み。時間の制約の中で石井樋
(いしいび)へ行きました。
(上)嘉瀬川、「象の鼻」「天狗の鼻」
嘉瀬川の洪水時の勢いを制御し、水が佐賀城を直撃しないようにしつつ、城下に水を取り込み、また洪水時の砂が川や水路を埋めていかない多くの工夫があったり、400年前のその偉業には驚きました。
石井樋の知恵と工夫 国土交通省 九州地方整備局 武雄河川事務所
成富兵庫茂安の足跡│32号 治水家の統(すべ):機関誌『水の文化』│ミツカン 水の文化センター
(上)嘉瀬川の現在の大井手堰。手前は当時の大井手堰のあった位置
(上)石井樋、石井樋排水樋管
①まず川の勢いを「象の鼻」(最初の写真)という堤を作って流れを川の中央に寄せ、大井手堰(3枚目)にぶつけます。そのときに水に含まれた土砂の一部が川底に沈みます。
②大井手堰にぶつかった水は逆流してゆるやかな流れになり、土砂を少しずつ川底に沈めながら「象の鼻」と「天狗の鼻」の方へ流れていきます。
③象の鼻と天狗の鼻の間を通るうちに、さらに流れはゆるやかになり、土砂の混じらないきれいな水が石井樋から多布施川に流れていきくこととなります。(4枚目)
②大井手堰にぶつかった水は逆流してゆるやかな流れになり、土砂を少しずつ川底に沈めながら「象の鼻」と「天狗の鼻」の方へ流れていきます。
③象の鼻と天狗の鼻の間を通るうちに、さらに流れはゆるやかになり、土砂の混じらないきれいな水が石井樋から多布施川に流れていきくこととなります。(4枚目)
(上)「成富君水功之碑」成富兵庫茂安の功績を顕彰する石碑。石井樋公園に明治20年ごろ建てられました。裏側に茂安の功績が記されています。
佐賀は茂安が関わった多くの水利施設、蛤水道、西芦刈水路、多布施川、三法潟、裂田の溝、千栗堤、クリーク…と見どころたっぷりなのでまた再訪したいと思います。