円筒分水かわうそ探検隊

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音無井路十二号分水(大分県竹田市)

小型で風景に溶け込みとても美しい円筒分水

山間の田んぼの横で水が豊富に溢れているのを見るとほっとします。ほっ。

水源

大分県の南部は阿蘇火砕流堆積物で構成された地域で、堅い地盤と柱状節理による高い透水性のために用水の確保には常に悩まされてきました。

1693年(元禄6年)の岡藩家臣須賀勘助により始まった疏水開発は完成直前の洪水による壊滅的被害で中止に。その200年後の井上藤蔵と熊谷桃三郎が1884年明治17年)に工事着手し大変な苦労により1892年(明治25年)に大野川の支流大谷川からの水路が完成。水争解決の為1934年(昭和9年)に円筒分水が完成しました。穏やかな風景に先人の苦労が隠れています。

水路

三に分水されています

第1着線(尾迫まで)は3km、第2着線(次倉まで)は6km、第3着線(下戸まで)は4kmの水路が農地を潤しています。

説明板

コマーシャルで有名に

大分むぎ焼酎二階堂のCMで取り上げられ有名になりました。

youtu.be

歴史

1693年(元禄6年)の岡藩家臣須賀勘助の進言で始まった疏水開発が1791年に開始されたが完成直前で洪水により壊滅的被害をこうむり、責任をとって須賀勘助が切腹するという話が伝えられています。その200年後の1876年(明治9年)に岡藩の藩士であった井上藤蔵と熊谷桃三郎が1884年明治17年)に工事着手し大変な苦労と破産となることも通して1892年(明治25年)に水路が完成。

大野川の支流大谷川から熊本県内で取水し、延長13kmの水路によって旧宮砥村(現竹田市)の180haの耕地を潤すもので、明治31年に竣工している。但しここから旧宮砥地区内部の3方向の分水では水争いが続き、1934年(昭和9年)に『12号分水』と呼ばれる円形の分水施設この円筒分水が竣工したものです。耕地面積に応じて3地区に比例分水できるようにした画期的なもの。大谷川取水□から2kmにわたるトンネル水路を通った水がサイホン方式で、円形の中央から沸き上がってきます。

円形は2重で、内外を仕切る壁には等間隔に小窓が設けられており、中央に湧き上がった水は小窓を通って外側の円形溝に流れ込んでいきます。外側の円形溝は仕切りで3分配しており、小窓の数や小窓に設けられたふた、仕切り板の高さにより分水量が調整されます。現在は石造りからコンクリート造りに改修されましたが、現状は従来のままで、水利争いを合理的に解決した施設として、近代化遺産に評価されています。

データ
名称:音無井路十二号分水
住所:大分県竹田市九重野
方式:オリフィス式。スリットは20個。直径6.4m
水源:大谷頭首工。トンネル水路の長さ(大谷川取水口から2km)
用水・分配: 3分水。現状は5個、8個、7個に区分

延長13km、受益面積180ha

第1着線(円形分水~尾迫):3km
第2着線(円形分水~次倉):6km
第3着線(円形分水~下戸):4km
竣工:1934年(昭和9年
管理:音無井路土地改良区 

その他:土木学会の近代土木遺産に認定
リンク:大分県の円筒分水工 | 一般社団法人九州地方計画協会

    

www.maff.go.jp

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