180のオリフィス(分水孔)が美しい円筒分水
何といっても180のオリフィス孔が水をまあるく落としている姿はとても美しいです。
1938年(昭和13年)に作られた80年以上の歴史と貢献、美しい姿が保たれていることなど、2024年(令和6年)に有形文化財登録となったのもなるほど!です。
丸子川から関田頭首工で取水し、六郷の扇状地の一番高いこの場所から900haの耕地に水をざぶざぶ。
この丸子川の扇状地は礫層たっぷりで、地下水を得るには相当深く掘らなければ無理。
湧水が出るのは「六郷の湧水群」で有名な集落中心部(標高40~50mのライン)だけ。そのほかの30-90mのエリアは米作りの水に大変苦労していたのだと。
一方、1930年(昭和5年)から1934年(昭和9年)は「昭和農業恐慌」として知られる農村が大打撃を受けた時期でした。世界恐慌(1929年)で生糸の対米輸出が激減し米も暴落。政府のデフレ政策(井上準之助)もあり1930年(昭和5年)は豊作なのに米価超下落、農村経済は壊滅的な打撃…。
そして翌1931年(昭和6年)は東北・北海道が冷害による大凶作、翌年も同様で飢餓、身売りや小作争議などが激化した大変な時代。
『昭和大凶作 娘身売りと欠食児童』(山下文男著、無明舎出版)
その厳しい状況を解決するため丸子川からの取水と円型分水設置の計画が県議会議員京野孝之助を中心に取り進められたとの事。京野は六郷の日本酒の蔵元で、県議へと進んだ人、教育などにも尽力した方だそうです。
(上)京野孝之助の蔵元のお酒「久美愛」(今はない)
発案より数年の期間を経て1938年(昭和13年)に円型分水が完成!
円筒分水生みの親の可知貫一の論文『灌漑計画と放射式分水装置について』が1930年(昭和5年)、西天竜の円筒分水群の完成が1939年(昭和14年)ですから、この関田の円型分水技術の早い時期の採用は当時としては画期的なものだったと思われます。
(左)六郷堰、紀ノ国堰、中村堰へ (右)幹線水路
取水元の関田頭首工はすぐ近く。この時期丸子川の水は魚道に流す分以外ほどんど円筒分水へ廻っているようでした。
六郷の扇状地には他に、起源を文政8年にまで遡れる「田沢疏水」がカバーするエリアも大きいです。玉川と田沢湖の水利用を調整し灌漑や発電に利用する国営事業は1937年(昭和12年)に開始され1963年(昭和38年)に26年間!をかけてようやく完成したプロジェクト。国営幹線が六郷まで達していて、そこから県営の幹線が広がっています。
【お米】
米どころの美里町では、あきたこまち、ゆめおばこ(平成20年から)、サコホコレなど美味しいお米が栽培されています。
【お酒】
■栗林酒造店:「春霞」「栗林」
■高橋酒造店:「奥清水」「美郷雪華」
【ニテコサイダー】
データ
名称:関田円形分水工
住所:秋田県美里町六郷東根上関田165-2
方式:オリフィス式(180孔)、鉄筋コンクリート造、直径10m 最大流水量1.8m3、1孔あたり0.01m3/秒
水源:丸子川より関田頭首工にて取水
用水:7分水(内1つは飯詰円形分水へ、そこで3分水され、最終的に旧7町村・10か所の堰に分水。)
中野堰 A=79ha
寺村元屋敷堰 A=28ha
幹線水路 A=128ha
六郷堰 A=15ha
紀ノ国堰 A=23ha
中村堰 A=7ha
飯詰堰(飯詰円形分水)A=597ha (ここで3分水)竣工:1938年(昭和13年)
設計:
管理:秋田県仙北平野土地改良区(2016年(平成28年)に当初の秋田県七滝土地改良区は吸収合併)
関田頭首工
名称:関田頭首工
住所:秋田県美郷町(旧六郷町六郷東根字上関田)
仕様:最大取水量 1.80m3/秒 堤長:29.35m、堤長:1.80m、取水門: 2門
水源:丸子川。
用水:秋田県七滝土地改良区用水(円形分水経由)美里町の877haを灌漑
竣工:1938年(昭和13年)数か所あった取水堰を統合し完成。その後老朽化に対応し1979年(昭和54年)からの県営大規模排水施設整備事業で改修1982年(昭和57年)完了。
設計:
管理:秋田県仙北平野土地改良区(2016年(平成28年)に当初の秋田県七滝土地改良区は吸収合併)
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