円筒分水かわうそ探検隊

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可知貫一(円筒分水の生みの親)

円筒分水の生みの親、可知貫一(かちかんいち) (1885-1956年)

米作りを中心とした農業に不可欠な水、その水を公平に分配するのに様々な工夫と争いがありました。その水の公平な分配のを「円」という丸い形を使って出来る素晴らしい仕組み/装置を発明したのが可知貫一です。

京都大学文学館蔵)

可知貫一は明治18年、父与一母あさの長男として、岐阜県阿木村(現中津川市)飯沼の鞍坪に生まれました。父・与一は自由民権運動の闘士で恵那・東野小の初代校長、阿木村長も務めた人。小学校高等科(現在の中学)は祖父・鷹見豊次郎が校長をしていた巌邑(いわむら)へ進学。岐阜中(現岐阜高校)、六高(岡山市。新制岡山大学の母体の一つ)を経て旧東京帝国大学農科大学農学科(現東京大学)にて農業土木を学び農学博士号を授与されます。東京高等農学校(現東京農大)の講師を1年務めたあと、農業土木技術者となり、故郷の岐阜に奏任官待遇技師(県では知事、内務部長らに次ぐ高等官)として1911年(明治44年)に赴任しました。

赴任後は、終生の信条「足を運び、目で確かめる」の通り県内を駆け回りその学識と技術を駆使してエネルギッシュな活躍を始めました。

全国に見られる円筒分水工は博士の案によるものです。岐阜県内の耕地整理事業で「放射式分水装置」(円筒分水のこと)を考案。1914年(大正3年)に岐阜県泉村で第1号が完成しました。

岐阜県多治見市御大典池

 

 

 

「放射式分水装置」の解説書/論文は下記のようなものでした。

 

(「灌漑計画と放射式分水装置に就て」農業土木研究 1930年 2巻1号 p1-11の内p1)

 

また出身地阿木村(現中津川市)の隣接地東野村(現恵那市)の保古山の山頂のくぼ地を利用したため池作りは立案から6年の大正10年に着工、三年半かけて県下一のため池保古の湖(ほこのこ)が完成させています。

■保古の湖

保古の湖 | え~な恵那【岐阜県恵那市観光サイト】一般社団法人恵那市観光協会

■東野公民館だより

https://www.city.ena.lg.jp/material/files/group/7/24.pdf

 

その他落合用水、中部用水、付知川用水など東濃では息がかからないものはなく、西濃でも基礎・長良・揖斐三川の排水を近代工法で解決しています。

 

農商務省技師として八郎潟干拓を構想、国営で最初の巨椋池干拓事業を初代所長として遂行し、現在まで続く国営土地改良事業の基礎を作った人でもありました。

 

■『巨椋池干拓の 「作業日誌」に見る可知氏の設計思想』

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsidre1965/75/2/75_2_97/_pdf/-char/ja

■『国営第1号巨椋池干拓の歴史的意義に関する考察』

http://www.jsidre.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2016/03/Naiyo75-2.pdf

昭和31年4 月9日自宅に於て71才にて逝去。

 

【文献等】

秋田県八郎潟土地利用計画」農商務省報告 1923年(大正12年)

「飛行場の排水と灌漑」(訳)地人書館 1945年(昭和20年)
「地下水強化と農業水利」地人書館 1946年(昭和21年)
「農業水利学」第一出版 1948年(昭和23年)

(「飛行場の排水と灌漑」可知貫一訳補(地人書館)1945年(昭和20年9月25日発行))

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